九州のお茶 嬉野茶と八女茶の特徴

■佐賀は日本茶発祥の地
 平安時代末期の1191年に臨済宗の開祖栄西(えいさい)禅師は、中国の宋における禅の修業を終えて、多くの経典と共に薬草として貴重なお茶を日本に招来しようとしました。
 大切に持ち帰った貴重な茶を育てる場所として、九州の山岳仏教の地として隆盛を誇っていた佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の背振山霊仙寺一帯へお茶栽培を伝えました。

 

■嬉野茶の特徴
 嬉野茶は日本茶の中では珍しい独特の丸みを帯びた茶の形状から、玉緑茶(グリ茶)と呼ばれます。

 一枚一枚が丸く緑色の艶が深く、香りや旨みが強いという特徴を持ち、急須の中でゆっくりと開きながら旨みを抽出してい行くため、注ぐたびに味や香り、旨みの移り変わりを楽しめるお茶として人気があります。

 

■嬉野は釜炒り茶発祥の地
 発祥の地とされる嬉野町は、明から焼き物の文化とともにもたらされたとされ、「釜炒り茶」が特長の嬉野茶の歴史は古く、室町時代の永享12年(1440年)に、明(現在の中国)から移住した中国人が陶器を焼く技術とともに、自家用の茶樹の栽培と南京釜による炒葉製茶法を伝えたことが嬉野式釜炒り茶の始まりとされています。

 
 その後1648年から1651年にかけて、佐賀藩肥前白石郷の吉村新兵衛(1604~1657)が自らの土地(嬉野町不動山地区)を開墾し、茶種を蒔き栽培するとともに南京釜の製法を改良し、近隣に広めるなど茶業の振興に努めました。

 現在、吉村氏が蒔いた茶樹と伝えられる大茶樹が嬉野町の不動山・皿屋谷に残存しており、樹齢350年以上と推定されて大正15年に国の天然記念物に指定されています。

■八女茶の歴史
室町時代の応永30年 (1423年)に臨済宗の栄林周瑞禅師が、八女市黒木町に霊巌寺を建立するとともに、お茶の栽培を伝えたのが由来とされています。

実は当店の近くにある多久市南多久町の、臨済宗「延寿寺」のご住職のご実家は霊巌寺です。ご縁を感じます。

 

■八女茶の特徴

八女地区は玉露と煎茶の名生産地として名高く古い歴史を持ちます。

八女市星野村や黒木町などで生産されている玉露は全国生産量の約半分を占め、日本一である事が知られています。

八女地区の平地では、主に煎茶が栽培されています。