孔子の里 多久聖廟

■多久聖廟

 江戸自害初期、多久氏によって治められていた多久領は、鍋島氏の諸政策により、財政的に恵まれず、領民の心は荒んでいたといわれています。

 佐賀藩二代藩主鍋島光茂の三男として生まれ、幼くして多久茂矩の養子となった多久家四代を継いだ多久茂文は、多久領を治めるためには教育が必要と考えました。

 学校と孔子像を安置する聖廟の建設を願望し、元禄12年(1699)、まず学問所(後の東原庠舎(とうげんしょうしゃ))を建設。

 講堂に孔子像を安置、宝永5年(1708)に椎原山の麓に聖廟(恭安殿)を完成させ、孔子像を納め、釈菜(せきさい)を行いました。

 以来約300年経ちますがいまでは多久市民だけでなく、佐賀県内の皆様や県外の観光客の皆様が訪れる癒しの場所となりました。

 

■孔子

 孔子は春秋時代(紀元前500年頃)の中国の思想家、哲学者であり、儒家の始祖です。
孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめらました。
 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えています。

 

■釈祭(せきさい)

 多久市長を代表に中国の明時代の祭官服を身にまとい、伶人(れいじん・雅楽を演奏する人たち)は烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)をまとっています。
 式典には雅楽が演奏されます。現在では鳳簫(ほうしょう)や龍笛(りゅうてき)、篳篥(しちりき)、楽太鼓などの楽器が用いられていますが、古くは筝(こと)や琵琶(びわ)なども使われていたようです。

 

 現在jは釈祭(せきさい)の舞、腰鼓(ようこ)、金色の中国風獅子舞(ししまい)も奉納されます。